静かに夢の国 そろそろ雪がそっと降り出している

去ってしまった人のこと もういない人のこと面影や思い出や記録だけ見て惜しむことって本当にかなしいなって思う。こういうことするのって人間だけだな。本当に昆虫やネズミに生まれたかったが、昆虫やネズミにも昆虫やネズミなりのエモーションがあるのかもしれないし難しいな。なってみないと分からないな(真面目)

消える時は絶対足跡を残さずに消えないとって感じる。これまでもそうしてきたし、改めて感じる。インターネット廃墟って本当によくないって思っちゃう。その感覚が古いのだろうか。書物は廃墟が当たり前なので(出版されて人手に渡ったものを一斉手直しはできない。次の版までは)書物はどんなに古くても寂しくないのに、むしろずっとずっとそばにいてくれる気すらするのに、インタネット廃墟は本当にメンタルに来る。手直しできるから、会社や人手や手数を挟まないからかなあ、ブラウザひとつですぐ向こう側に自分と同じ形状の人間が同じものを見ていると感じられるからかなあ、つまり個人としての距離感が近いからかなあ、と思うけど、明確な原因解明に至らない。インタネット廃墟恐怖症。管理の行き届く間なら絶対廃墟を作らないように生きてきたつもりだけど、だけど廃墟でも残して欲しい!という人もいるだろうし、私みたいに管理不行き届きで意思に反して廃墟を作り出してしまう人間も多いだろう(というか廃墟のほとんどが多分それだよなあ)。そう考えると、廃墟を作らない人は、本当にまだ少しは好きなうちに、きちんと覚えているうちに整理をしている人だから、そういう人の方が本当は優しいのかな、と思っちゃう。その真逆の、あ、すっかり飽きて存在忘れてて消すのも忘れてた。みたいな人が実際には多いのだと思うので。

だけどどうなのだろ、人間として残ってほしくないなあ、私は、寂しくなってしまうので。2008年で更新の止まったブログなどを見ると、今この人もこの瞬間どこかで呼吸をしているのかな、と遠く思いを馳せる癖がやめられない。書籍や書体、画、というケイシキになって残ってくれたら、寂しくない、いつでもその時のその人に初めて出会えるから、ありがたいって私は思っちゃうな。だけど知らん人に人間やめてくれって頼むのも無理、というか無体な話。私は割と、ラインの履歴とかも消えても全然okなほう、実体ある人間のことは実体側しか信じない。インタネットは実体とケイシキの狭間すぎて、廃墟の取り扱い方が心の中でいまだによく分からない。自分で自分のことを、古い人間だとも新しい人間だとも思う場面があるが、どちらの価値観も必要だな、と常に感じている。その線引きを迷わずにできるような大人になるための勉強中と思えばインタネット廃墟に出会うくらい無料でできるから何度やったってokだな