kisshug

(これは6/26に書きかけで放置してあった記事です)

 

このあいだこんなメールが

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来まして、またラリっていつのまにかブログ書いて自分の記事に自分でいいねしたのかと思いビックリした。こんなことでいちいち、、連絡マメだな〜〜はてなブログさん 見習います いつもありがとうございます

 

 

マメな女 はてなブログさんに絆され今日は最近の考えたこと思ったことを書こうと思います。

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本日は1000年ぶりに秋葉原に来ました。大学生の時秋葉原でバイトしてたんですよね 別にどこででもできる普通のショップ店員。秋葉原が乗換駅だったのです。

いや今思えばせっかく秋葉原でバイトするなら萌え産やっとけよ!!の感もある。当時の私からしたら秋葉原=オタクの認識もう普通に古くて、秋葉原ってジャパニーズオタククールカルチャーの観光客向けテーマパークなんだと思ってた。今もその側面は少なからずあると思うんだけど また新しいアキハバラ文化が形成されている気もするなあ。あと実際マジのオタクが実用的に買い物しにくる率も高まってる気がする。インバウンドが収縮してからなのかなあ、わからんけど

秋葉原ってそういえばコロナで外人減って街どうなってるんだろ?って時間できた時に散策したんだけど、まじのまじのまじのまじで暑すぎて何も覚えてない。あと大荷物持ってたのもあり首を寝違えた肩が痛すぎて右しか向かなかったから周囲の人も右にいた人しか見えなかった。(?)とりあえず私の右側には日本人が多かったですね 人の数も多かったですね 少なくとも右側には、、

オタクの使命として秋葉原に行くと必ず何軒か大きいオタクショップを上から下までフロア巡回するんですけど 本当に年単位でたまにしか来ないから来るたびに如実にトレンドがガラリと変わっていて面白いです。てか店の中まで入らなくても電気街のほこてん歩いてるだけで面白い〜 こういう絵とかアニメの動きとか声とかが流行ってるのか〜こういう系がいまの「かわいい」なんだな〜とか思える。(学者)移り変わる世界で唯一化石のように君臨してくれるまんだらけコンプレックスのことが私は一番好きですね 変わってしまったものもあるけどね 変わらないものの方が あなたもあたしも多いよ…

こうやって年単位でオタクショップ巡回して時々古〜〜〜い同人誌をジャンル問わず買うんですけど(新しいのもたま〜〜〜に気分で買いますが 男性向)、今日棚に刺してある古〜〜〜い同人誌の中で圧倒されちゃうくらい素敵な表紙の本に出会ってしばらく眺めて立ち尽くしちゃった。今思い出しても、素敵だったなあ 買わなかったけど。次の棚行っても、思い出して戻ってきて何度か眺めちゃった。びっくりするくらい素敵だったなあ。

いろんな本の表紙眺めてあらためてしみじみもう絵はかけないなあ、(残念だけど)ということも思った。素敵な絵を見ても、私もこういうのかきたい〜!っていう気持ちより全然、ウワ〜こういう絵を書く人間一個人に圧倒されてご飯食べられなくなるくらい夜も眠れなくなるくらい昼夜飽きるほど傾倒して憧れてえな〜!!!!!!!!!!!!!という気持ちにしかならなかった 前の記事でも書いたんだが、私はもう絵とか線とか色彩ようするに視覚情報それのみにそこまで心を傾けるには歳を取りすぎた。絵を描くってまじで労力と勉強がやばいくらい必要なので、その方面に専念するには何かひとつの絵、もしくは何か絵を描く特定の人への執着じみたひたむきな感情、恋といって良いくらいのものが必要なのだと思うのだが、それがもうできんのだな〜ということをしみじみかんじる。老婆

で、そういうことを考えながらまんだらけコンプレックスさんを後にして秋葉原巡回を続けていたら、15年くらい探し続けていた人に再会して、それもまた割と大きな出来事だった。再会といっても本の形でなのですが。今どこで何をしているのかなあ、と残された文字を追いながら考えること、私は中学生の時に芥川龍之介さんに恋をしていたので、結構そういうひとりでやる寂しい遊びが好きですねえ 

本も漫画も読む時間は必ず絶対一人だから、それが好き。さみしいじゃないですか。映像媒体と決定的に違うのがここだと私は思うなあ。私はかなり幼い頃から古い本や漫画、映画、アニメや音楽が好きで好んで親しんでいたんだが、古い映像や音楽は当時の文化風俗がしのばれて、当時の人達がこういうのを見て楽しんでいたんだな〜、こういうテイストが街に溢れかえっていたんだろうな〜、分厚いテレビで決まった時間にチャンネル回して見ていたんだろうな〜、って時代の市井の暮らしに思いを馳せることができるのがいい。他人と共有することにより意義があるし、リアムタイム感というのかな。映像や画像はやはり瞬発力がありますね。それに対して本や漫画などの紙媒体は、というか媒体としての文字は、ていうか“文字によって伝達できる概念情報そのもの”には時間による経年変化がない。だからいつ何時もページを捲るとそれを書いた時のその人に会える。もう絶対会えないけど何故か会える それが好きだなあ。

文字による伝達は情報というより、時間と空間を超えた個人の心の対話。なぜかといえば、文字や言葉には線の繋がりや色の混ざり合いのような偶然の産物がないから。一つの言葉、語尾の一文字、改行の一つ選ぶのにも必ず絶対発信者の意思選択がある。だから好きだなあ 言葉を丁寧に使う人のこと本当に好きだな

 

最後の2段落くらいは今書いたんだが眠くてラリっていてあんまり文が書けないのですみません、、最近寝ても寝ても寝ても寝ても寝ても眠い。扉の向こうの兄弟の分も眠ってるとしか思えないな。暑いから元気になっては来たけど6月の疲れが全く癒えてなさすぎてやばい。まじで早くプールで泳ぎたい(夏女)

扉の向こうの兄弟ってなんすか?!という話なんですが鋼の錬金術師の映画この前見ました。トンチキ漫画実写見て爆笑するのが好きなので1作目見てもないしいつやってたのかも知らんくせに物見遊山で(?)2と3見に行ったんですけど、期待を裏切られすぎた マジ衝撃的なくらい良かったです。マジでものはためしに見てみた方がいいですよ がっかりしたら1800円私が返金します

マジで無理なキャストが全くなかった はがれん実写において多分ロイマスタングさんとかがかなりキャスティングのキーになるところだと思うんですけどこれはこれでいいじゃん…でしたよ ほんとに 

鋼の錬金術師、漫画の最後の方ムズくて何回かは読んだのに全然覚えてないんで最初の方ばかりの記憶にはなるんですけど、映画見てて内容とかより鋼の錬金術師を大好きだった頃のことを思い出して割と終始涙ぐんでた、、まじで今でもついこの前の出来事のように悲しい マースヒューズ中佐が死んじゃったこと

鋼の錬金術師ってまじでわりとみんなかわいそうで、死んだお母さんにもう一度会いたいどうしてもまた会いたいって幼い子供達が寂しくて心からそう思ってしまったら、自分のせいで失った自分の子供の命を何を犠牲にしてもまた取り戻したいと思ったら そんなの方法があるなら何でもやってしまうよな 当たり前だよな…って思っちゃう 少なくともそう思い続ける気持ちは罪ではないよなあ、と思っちゃう つらいけど。死んだら全部終わりだけど、命あるかぎりは死なないように本能が生きるし、生きてると死んだ人のことずっと覚えてなきゃいけなくて、生きてて命があって心があるのってそれだけでなんて可哀想なんだろう 本当に生き物って息してるだけで可哀想だなあって思ってしまう。いや絶対絶対やっちゃうな私なら。別に全然自分が死んでもいいからやる。好きな人は生きていてくれるだけもん。それでもやっぱり死んだ生き物を生き返らせることって絶対できないしできるかもしれないなどと考えることすら罪深いのがこの世界なんだな〜 と深々と考えた かなしいな 何をどうしたら死んじゃった大切な人にまた生き返ってほしいって強く思わないですむんだろ 無理ですよそんなん

私がロイマスタング大佐だったら絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対マースヒューズ中佐を人体錬成したな ロイマスタング大佐はそれをしなかった それがまじですげ〜可哀想でそこが好き、、 まあ人をたくさん殺してきたから今更そんなこともできないかあ やっぱりみんなかわいそうだなあ〜ありとあらゆる命あるものは

映画最後の方はやっぱむずくてまあよくわかんなかったが(馬鹿)本当によかったので見てください。シンウルトラマン見るよりこっち見ることをおすすめします私は

眠くてラリっているのに結構しゃべりまくってしまった。

秋葉原では老舗のお蕎麦とうなぎを食べました 暑い日だったなあ

15年ずっと探していた人の話は気が向いた時にまた喋ろうと思います。